誰が何と言おうと薫×亮です。遊郭の話です。なお脚色してますので実際の吉原と違っているところも多々あります。
























辻 ヶ 花 ろ ま ん す






暗闇の中、品のない朱色の燈籠があちらこちらで灯り、周囲の軒先をより如何わしく照らしていた。
凡そ大きな行事でもない限り賑わう事のない昼とは違い、夜は軒先が華やかに彩られ、大勢の人の波が押し寄せその騒がしさは深夜になるまで消えはしない。
酒と甘美な夢に酔い痴れて、誰もがその灯の下に楽園を見るのだ。
けれど、灯の下のその裏側には、数え切れない程の「闇」が詰まっている。



悲恋、愛憎、絶望。



売られた者にとっては、地獄に他ならない。

全てを飲み込んだその町は、遊郭・吉原と呼ばれる巨大な牢獄。
売られたら最後、その格子からは逃げられない。


決して、逃げられはしないのだ。







その見世に少年が訪れたのは、偶然だったのか、それとも運命だったのか。

その日に、青年が見世に出されたのも、偶然だったのか、運命だったのか。



そして、一人の少年と一人の青年の運命は静かに動き始めた。








夕闇が空を覆い尽くす頃、高札場の前に一台の箱馬車が止まった。
辺りは薄闇に包まれてはいたが、所々装飾品等が飾られた誰が見ても高貴なその馬車は通り過ぎる登楼者の目を惹いていた。
それというのも西洋文化が入って十幾年かは経ったが、生活の一部に取り入れられるのは華族だけであり、金の無い庶民の目には未だ見慣れぬ真新しいもの程度しか認識されていなかったからだ。
洋装を纏った馭者が豪華な細工が施された把手を捻れば、開いた扉から二人の少年が連れ立ってその地に足を降ろした。
一人は、穏やかな笑みを湛えた少年とも青年とも取れる男で、全身、常盤色の洋装に身を包み、色素が薄いのか栗色の髪を風に靡かせている。
もう一人はさらに歳若い少年で、漆黒の燕尾服にステッキ、シルクハットという、常盤色の男よりも豪華な身形であった。
その立派な出で立ちはどう見てもこの如何わしい町並みに合う筈も無く、異質な空気を放っていた。
「随分と埃に塗れた処だな」
少年は、後ろに付き添った従者の青年に向き直った。
「これが庶民の土地というものですよ。さぁ、ここから少し歩きますよ」
そう言うと青年は慣れた様子で大門を潜った。少年は少し躊躇ったが次の瞬間には青年の後を追うように大門へと足を踏み出した。
行き交う漫ろ心に満ちた群集の好奇の目は次々と突き刺さり、多少の予想はしていたものの、その余にも不躾な視線に少年は小さく溜め息を吐いた。

「全く…親父も余計な事を」
「これも仕来りですから」
少年の怒りの矛先が何時の間にかこの大衆では無く父親に向かっていて、雇い主である男を冒涜するような事を口にする訳にはいかず、困ったように青年は微笑み乍ら当たり障りの無い言葉を返した。
それが面白くなかったのだろう、少年は青年を睨みつけた。
「仕来り等、何時かは廃れていくものだろう。律儀に守る奴の気が知れんな」



この高貴な少年が此処に居るのは理由があった。
子爵家の出であるこの少年は、名を三崎亮と言った。
歳は未だ十七であったが、父親の命により来年に婚儀を控えていた。
身分が在るというだけの、まだ会った事もない女。
当然の如く亮は拒絶の意を示したが、父親は頑として譲らなかった。


「そもそも俺には結婚の意志等無いというのに」
「家柄の事を考えれば、自然な流れだと思いますけど」
「親父にも同じ事を言われたよ。俺が言いたいのは良く知りもしない女を迎えるのが厭なだけだ」



彼方此方に朱色の石燈籠が立ち並び、往来を妖しく映し出していた。
大門から伸びる、大通りと呼ばれるその道は真直ぐ突き当りまで在るのだと聞いていた亮は、遠く先を眺めたが、往来の多さに向こう側を見る事は叶わなかった。
横を見渡せば大通りを挟んで茶屋と遊女屋が軒を連ねている。屋敷の大きさは様々ではあったが、どの見世も戸口は派手派手しく彩られ、客引きの遊女達が見物人やら往来の男達を手招いている。
ふと、亮は横に伸びた細道に目を遣った。
大通りと比べて薄暗い、人気の無いその道には大柄なの男が懐から何か取り出し、女の前に其れをちらつかせていた。
女は衣を乱し乍ら、懸命にそれを掴もうともがいている。
亮の居る場所からはよくは判らなかったが、女の動作は何処か動物的で、常軌を逸しているようにも見受けられた。
「亮様、どうしました?」
立ち止まった儘の亮に気付き、青年が亮の元まで歩み寄ると、亮のステッキが小さく細道に向けられ、青年は其方に目を遣った。
「……ああ、麻薬ですか。あの子…見たところ高級遊女みたいですけど、あの様子だと年季明け迄体保たないでしょうね」

其れ迄の穏やかな雰囲気から一変した、冷めた表情で青年はその現場を流した。

「それにしても……噂には聞いていたが、本当に無法地帯だな」

そう、呆れたように亮は呟いた。



この吉原は政府も自治体も一切干渉をしない。
亮も詳しくは知らないが、物心が付いた頃からそれが当たり前の状況であった。

吉原は元々遊郭として栄えていた。
遊女として売られた娘や、攫われた娘も少なくないという。
遊女として生きていかねばならなくなった女達は、その屈辱に耐え切れず、逃げ出すものも多かったと聞く。
時には、恋仲になった男と手を取り、時には、焦がれた男を刺し殺し、そうやって大半の女達は悲劇とも呼べる死に方を選んで逝った。
その流れる血で一時、用水路が赤く染まったのは有名な話だった。
此れを見た当時の自治体は、人死にが多いと治安が乱れる。理由を付け、取り締まるどころか四方を堀で固め、出入り口を正面の大門以外、壁で塗り固めてしまったのだ。
問題は塗り固めた壁の内側へと隠し、外見は平穏を装ったのだ。
其れ以来、自治体は消滅する迄全ての厄介事を吉原に纏めて閉じ込め続けていた。
自治体が解散してからは、新たな組織が形成されたが、それでも吉原に一切手を付ける事は無かった。
何故そんな事をしたのか、取締りを行わなかったのかは未だ謎の儘で今日に至っても解明されることは無く、大衆間では様々な憶測が飛び交った。
自治体が吉原運営に一肌脱いでいたのではというものから始まり、見世側から袖の下を受け取ったのでないか、実は吉原は表向きで、その実自治体の公式牢獄だったのではないか。と様々な噂が今も絶える事は無い。
解散して数十年経った今となっては真実を知る者は皆無に近い。闇に屠られた真実は永久に解明することは無いだろう。


それから今日まで様々な歴史が通り過ぎたが、吉原の中だけは変わる事は無かった。
ただ、歴史と共に吉原も進化し、今では遊郭も女だけではなく男も売られるようになり、男だけで賑わっていた軒先に女の姿が混じり、異国人の姿も認められるようになった。
見世の片端で、何処で手に入れたのか舶来物の玩具や、怪しげな薬品の売買まで堂々と行われているのは最早日常茶飯事であった。
大門を出る事さえしなければ、何をしても咎められないのだ。



まさに、無法地帯。

そして、そこは巨大な牢獄でもあった。



「此処ですよ、亮様」
青年は其れ迄見た遊郭や茶屋の中でも一際大きな建物の前で立ち止まった。
大きいだけあって、素見も数えればばかなりの客がこの大見世で足を止めていた。
「随分と大きい処だな、お前はこういう処に通った事があるのか?優一」
優一と呼ばれた青年は照れた様に笑いながら「時折」とだけ答え、亮に此処で待つ様に言い残し見世の中へ這入って行った。
残された亮は、成す術も無く只、その場に立ち尽くすだけだった。
そうなるのも仕方の無い事で、優一と違いこの様な場所に来るのも、これから行われるであろう行為も、亮には初めての事だったのだ。
優一が這入って行った戸口の直ぐ隣には惣籬が設けれられていて格子越しにずらりと遊女達が並んでいた。
男も女も子供も大人も関係無く、只無造作に並べられた遊女達。
客を惹こうと必死で愛想を振り撒いている者から、全く興味が無さそうに煙管を玩んでいる者まで様々だった。

正直、下世話な事だと心底思う。
父親の命でなければ、こんな処生まれ変わりでもしない限りくる事は無かっただろう。
寧ろ行きたい等とは絶対思わない。
亮は冷ややかな目でその光景を見つめた。

「亮様、お待たせしました」
見世で貰ったのか物なのか冊子を手にした優一戸口から現れた。其れに続くように荒々しそうな男が現れ、にやりと笑った。
晒を巻いた厚い胸板を肌蹴させるように着物を着崩し、裾も高く捲り上げられていて、見るからに腕っ節の強そうな顔つきをしていた。
男は九藤真吾と名乗った。
「すいませんねぇ、大門まで迎えをやる心算だったんですが、今日はウチの引込新造の突き出しなもんで人手が足りなくてねぇ」
「あぁ、どおりで。今日は何時もより賑わっているわけだ」
「…何の事だ?」
「引込新造っていうのは、新造の中でもとびきり上玉の事ですーまぁ、将来は見世で一番人気を約束されたような子ですねー今日はそのお披露目日みたいですね」
「折角だから見ていきますかい?あれはなかなか出ない上物ですよ」
真吾はにやにや笑って、軒先に造られた朱色の格子を挟んだ向こう側にずらりと並ぶ女達を指差した。
「そこに並んでるのなんて霞んじまいますぜ」
「いや、結構…」

そう口を開こうとした時。 軒先の人だかりが一際大きくざわめいた。

「おっ、来ましたぜ」
真吾が大通りに顔を向けた。
先頭に箱提灯を持った男衆が二人並び、その後ろに幼い子供や年若い少女達が列を成していた。
ゆったりとした足取りで見世に向かってきている。
「ほら、見えますかい?あの背の高いのですよ」


亮の視界に群集は徐々に近づいて来る。その中に、一際豪華な衣装に身を包んだ人物がいた。
造り物のような秀麗な顔立ち。
日の光を知らないような真っ白な肌。
繊細な細い髪と肢体。
妖艶な気だるさを発したその人物は艶やかな振袖を捌きながら亮のいる場所まで歩いて来る。
取り憑かれたように亮の体は動かず、眸は、その人物から離れる事は無い。
其れ程迄に其の人物は綺麗だったのだ。その見目はまるで、人外の者か、在る筈の無い物を見ている様なそんな気分にさせる。

何時しか二人の距離は腕を伸ばせば触れられる程の距離になっていて、その時になって亮は初めて気が付いた。
彼は、男なのだと。

「あぁ、今日は男娼の引込新造だったんですか。男性の引込新造は珍しいですね、亮様…亮様?」
優一は固まった亮を見て小首を傾げた。
「矢張り……男、なのか」
ようやっと動いた唇からはそんな言葉が紡がれた。
「ええ…ほら、あの振袖は男娼用のです。偶に居るんですよ区別の付かない上玉が。そういうのを防ぐためにあえて装束の形を変えてるんですよ」
「そ、うか……」
ふわりと白檀が香った。
品の良い上等な香りで、その匂いの元へ目を遣れば、それは目前の青年から放たれたものだった。
眩暈がする程の香りに亮の意識は霞んでいく。


青年はやや俯き加減で戸口へと足を進める。
少年は過ぎ行く青年を未だ見つめようと無意識に体が揺れ動いた。


「あ」



ぼんやりしていたせいか、亮の手からステッキが滑り落ちた。
それは青年の足下にまで転がり、ぴたりと足を止めた青年が静かに亮へと視線を移した。




「…………ぅ……?」



「……え…?」




一瞬、彼が驚いたように目を見開き、何事か呟いた。
聞き取れる事は出来なかったけれど、亮には何事か言ったのだけは辛うじて判った。



「亮様?」
優一は急いでステッキを拾い上げ亮を見たが、彼は其れを受け取る事は無く只、青年を見つめていた。
青年もまた目を逸らす事無く亮を見つめた。
その光景はまるで時間が止まってしまったかのようで、見つめ合った二人は一瞬たりとも動く事は無かった。
まるで無言で会話を交わしているような、そんな雰囲気が漂う。
優一も、真吾も、行列に参加していた見世の者も只、二人を見守るように固唾を呑むが、それでも二人は動くどころか視線を外す事もしなかった。



どのくらいそうしていただろう。
ふいに真吾の耳に群集のざわめきが届いた。
「さ、そろそろ行きますかい?旦那にはきちんとした太夫を待たせてますから」
誰よりも早くはっと我に返った真吾は、只ならぬ雰囲気を察し慌てて二人の間に割り込み、亮の腕を引いた。






そして、運命は動き出す。





「亮様、行きますよ?」
猶も青年は亮を見つめた儘だったが、優一もそれに構わず亮を戸口へと誘導する。






歯車は廻り続ける。





「…あぁ」
返事をしたものの亮の体は動かなかった。吸い寄せられるように目が離れない。
押される儘体は見世へと向かう。






くるくる。くるくる。





「……君なら……も……ぃ」
去り際に、青年は何事か呟いた。
切れ切れではあったけれど、矢張りそれは亮に向かって放たれたもので。






止まる事なく動き出す。





「な、に?」
「亮様、行きましょう」
そう紡いだ言葉は優一により遮られた。
何かが断ち切られるように、視線の糸は、途切れた。







流される儘に、二人は出会った。
そうして恋に落ちていくのだろう。
やがて行き着く先に、幸せなどないと知りながらも。




それは華族と男娼の不運な恋。
吉原ではありきたりな悲恋物語。










悲シミハ断チ切ル?其レトモ悲恋ハ続ク?











ずっと書きたかったんです、この作品。
これはクレ/ヨン社の辻/ヶ花/浪漫という曲からイメージさせたものです。
実はこれまだ続きがあるんですが、こういうの受け入れられるのかなと思い、今回はここまでにしてます。
もし続編読みたいとか思われた方は教えてくださいね。希望が多かったらまたUPしますので。
でも、実はこれイラストで描きたいんですよね、私。
でも描けないので、やむなく文章に。
誰か描いて下さい(切実)
ちなみに役柄としては。 薫→遊女。亮→華族。優一→亮のお付(笑)。桜・伊織→薫の禿。真吾→男衆の一人。
さらにちなみにですが、薫の居るお見世の名は『欅』です(笑)

2007.06.18
2008.01.27 再UP