誰が何と言おうと薫×亮です。遊郭の話です。なお脚色してますので実際の吉原と違っているところも多々あります。
























辻 ヶ 花 ろ ま ん す 2






ぎしぎしと悲鳴をあげる階段を上るとあちらこちらから香の焚き染めた匂いが漂ってくる。
お世辞にも上品とはいえないその香りに吐き気が込み上げ、亮は顔を顰めた。

幾つもの襖を通り過ぎ辿り着いたのは、上ってきた階段から見て一番奥端の部屋だった。
隅に未だあどけなさの残る少女が正座をしていた。真吾が右手を上げると少女は静かに立ち上がった。
「その方は…」
「おう、こちらが先刻話した旦那様だ」
そうですか。とだけ答え、少女は「姉様、旦那様がいらっしゃいました」と襖の向こう側に声を掛け、すす。と襖を開いた。
六畳程のこぢんまりとした部屋の中央に頭を下げた女が座っていた。
「ようこそ、いらっしゃいました。今宵お相手を務めさせていただく志乃でございます」
女、志乃はゆっくりと顔を上げ微笑んだ。


辺りに澄んだ空気が流れたような気がした。
初対面ながら彼女は『透明』だと、亮は思った。


「じゃあ、志乃さん頼みましたぜ」

目配せをして、真吾と少女は部屋を出て行った。
凛とした空気が流れたまま、遠くで誰かが騒いでいる。


「旦那さん…この郭での事は一時の夢だと思って下さい」
「夢?」
「未来のある貴方にここは相応しくないわ。どんなに華やかに見えても、ここは牢獄ですもの」
志乃は寂しそうに笑った。




「俺は…この世に生きている限り何処だって牢獄だと思うけど」




事実、亮はそう感じていた。

華やかに見える華族世界の裏も、吉原となんら変わりは無い。

決められた結婚相手。
決められた未来。

何から何まで制限されて、自由など何処にも無い。




「本当の自由は、死なない限り得られないものだ」




ぽろり。と志乃の頬を涙が伝った。



「あ…何か失礼な事を言ってしまっただろうか?」
「いいえ…いいえ。貴方と同じ事を言った方を思い出してしまっただけ…」





気がつけば、亮は志乃を抱きしめていた。
「す、すまない…!」
慌てて離れようとした亮の腕を、今度は志乃が掴んだ。
「志乃…さん?」
「もう少し…このままで……貴方は、とても心が綺麗な方なのね…こんな私を哀れんでくれているんですもの」
「そんな…そんな事は…」
「いいの……いいのよ」










志乃は、透明な女だ。
当たり前のように亮の心にするりと入り込む。
その癖存在感は圧倒的に強い。





不思議な女だった。















「またいらして下さったのね」




何故この女の元へ通ってしまうのか、亮自身よく解っていなかった。
あの夜以来、体の関係はもっていない。


清廉で、真っ白で触れてはいけないような気がしたのだ。
その代わりに亮はよく話をする。
身の上に起った事や、裏の華族世界の話、吉原に居ては解らない世情の事など知っている事はなんでも話した。
志乃は、ただ静かに微笑んで頷くだけだったが、それでも亮は満たされていた。















「旦那、また来て下さったのかい」
その日、昼見世で暇だったのか、入り口付近で屯している真吾が声を掛けてきた。
相変わらず厳つい形をしていたが、先日話し込んだ時に亮と同い歳だと解って以来真吾はよく亮に絡むようになった。

真吾は面白い男だと思う。
一見情に厚そうな面をしている癖に、自分の興味のあることにしか本領を発揮しない。
けれど、空気を読むのは人一倍上手い。
かと思えば、気に入らない輩は、仮令客だろうと殴る。
捉え所の無い男だった。

「生憎志乃さんには客がついちまってね…」
「そうか…」
ならば真吾に話し相手を頼もうかと口を開こうとした時。




からん。




「………」

足下に落ちてきたのは、煙管だった。
よく磨かれたそれには、火は点いておらず火皿に煙草も入っていなかった。
拾い上げると、するりと真っ白な細腕が伸びてきた。

「…ありがとう……」





それは、いつかの男の花魁だった。














お礼にと通されたのは志乃の部屋よりも豪勢な二間続きの部屋だった。
「まさか、薫が誰かを気に入るなんてねぇ」
面白半分に着いて来た真吾が可笑しそうに笑った。
「…客寄せしなくていいのか?」
「いいのいいの。どうせ誰も来やしねぇよ」

陽気に笑う真吾にドスッと振動音が響いた。
「真吾ォ〜!!」
背後を覗くと怒り心頭といった面持ちの少女とその傍に、少女と瓜二つの少年が立っていた。
その様子から察するに、どうやら攻撃をしたのは少女の方らしかった。
「うおっ!…んだぁ?桜」

振り返り、揶揄う様な口調の真吾に桜は益々眉を吊り上げた。
「何ややない!!よくも、姉様に男の客つけよって〜!!!」
「お前女でも怒るだろーが」

「うっさい!!女も嫌やけど男はもっと嫌や!!」
「桜。けんかはだめだよ…」
「伊織は黙っとき!!」

傍に居た少年は小さな声で意義を唱えたが、桜によって即刻退けられた。
「これは薫が望んだんだよ」
「嘘や!姉様がそんな事言うはずない!!」





「桜、喧嘩は禁止したはずだけど…」





急に騒がしくなった部屋に、透き通った声が響いた。
気だるい雰囲気が部屋中に漂い、一斉に動きが止まる。





奥の間から静々と薫が出てきた。


「姉様…あの、これは…」


急に大人しくなった桜に、薫は容赦なく冷たい目で一瞥した。





「二人だけにしてくれる…?」














静かになった部屋で何を話すでもなく、亮はちらりと薫を覗き見ると、薫は黙ったまま煙管を銜えながら窓の外を見ていた。

変わったな。と亮は感じた。

初めて目が合ったあの日。
あの時は寂しそうな虚ろな目をしていたのに、今は世界を蔑んでいる、誰をも跳ね除ける冷たい目をしている。


未だにあの目を忘れる事は出来なかった。
如何してこうも気になるのか。







「なぁ…あんた何で煙管なんて持ってんだ?」



「…………」



「煙草、吸わないんだろ」



「…………如何して?」



「火皿に煙草を入れてる形跡が無かった」



「…………」







「黙りか……揶揄ってるなら帰らせてもらう」







そう言って立ち上がろうとした時だった。














「…待って……」











それまで、微動だにしなかった薫が慌てたように亮の右腕の裾を掴んだのだ。












「待って……帰らないで……」














「あれは、態と落としたんだ……君の足下に…」




「態と…?」







「あの日……君だけが…僕の声に気付いてくれたから…」
















そしてまた、二人の距離は近づく。











あの日から、止まったままだった歯車は再び動き出す。
















物語の本当の幕開けは、これからなのだ。










悲シミハ断チ切ル?其レトモ悲恋ハ続ク?











第二弾やっちゃいました。
前半が亮志乃だらけになってしまいましたが、このプロセスをどうしても通らないと話が進まないのでカットはしませんでした。
しかし桜と伊織、真吾が出てくるとたちまちコメディタッチに…。
切ない雰囲気ぶち壊しです(笑)
薫亮がいちゃこくのには時間がかかりそうです。
でもこの時点で密かに恋は始まってるんですよ。
2007.06.28